『光陰矢の如し』といいますが、月日が経つのは早いもので、私も、弁護士になってから既に20年が経過しました。当時は、まだ、司法試験が非常に難しい時期で、合格率は2~3%という時代でした。受験時代は本当に貧乏でしたが、来る日も来る日も、よく勉強したことを覚えています。
私は、弁護士としての第一歩を『田舎の弁護士』から踏み出したくて、埼玉県川越支部管内の法律事務所に就職しました。当時は、本当に人手が足りなくて、同管内の管轄人口は160万人以上にもなるのに、弁護士は実労人口で20名もいないと云われていました。毎日、忙しかったですが、ここで、『町の弁護士』すなわち『町弁』としての基本的なスキルを身に付けました。
その後、機会を得て英国に渡航し、ロンドン大学院で、法学修士を2つ取得しました。ロンドンの巨大ローファーム(法律事務所)で研修などもしました。帰国後は、実家のある名古屋を拠点に弁護士実務に従事していますが、東京・横浜に企業の顧問先様もできて、現在は、名古屋と東京・横浜を新幹線で往復する生活を送っています。
ロンドンに3年間いたこともあり、最近では、国際案件を取り扱うことが非常に多くなりました。特に、海外出張は年間10回を超えるため、体力的には厳しいですが、日本企業様のために世界と戦い、日本の優れた商品や技術の海外展開のお手伝いができることに、個人的には大きな喜びを感じています。
大企業(東証1部等)の顧問先様も取り扱っていますが、中堅企業・中小企業さまの海外展開にも力を注いでいます。リーガル・サービスのクオリティは下げることなく日本の五大法律事務所の半額程度のフィー(値段)でサポートすることを目標としています。
他方、国内案件としては、会社案件、M&A、知的財産権、IT法務、金融・信託等のビジネス関連を得意分野としますが、『町弁』である以上、離婚・相続等の家事事件や一般民事事件も多く取り扱います。時には、採算度外視で、意地になって結論を追求することもあります。
海外で学位を修めたこともあって2つの大学院で教鞭をとっています。1つは、外国人留学生を教える英語講義であり、他の1つは、日本人の経営者教育を目的としたビジネススクールでMBA講義(東京丸の内ビル・名古屋丸の内タワー)をしています。どちらも、卒業生が立派になっていくのが自分のことのように嬉しく思われます。実務家であり研究者でもあるため、世界で開催される法律の国際会議では、発表者(スピーカー)として招待されることも非常に多くなりました。
末筆ながら、国際弁護士であろうと国内弁護士であろうと、最後は、人柄と人間性、そして、責任感であり情熱なのだと思っています。国際業務を得意とする『町弁』として、今後も、皆さまのお役に立てますと深甚です。
令和元年12月吉日
弁護士・弁理士 小川晶露(おがわ あきつゆ)